訪問だからこそできる向き合う看護
これまで約23年、病院で看護師として働いてきました。
ほわいとで訪問看護をするようになって、もうすぐ5ヶ月です。
私が小学生の頃、病弱で何度も病院のお世話になっていた祖母が「お仕事は、(手に職のある)看護師がいいよ」と、よく話していました。
その時のアドバイスが、ぼんやりと頭にあったのでしょうね。
准看護師の資格がとれる高校に進み、病院へ就職。
准看護師として働きながら、看護師の資格をとりました。
人とお話しすることが好きなので、看護師のお仕事は、自分に向いていると思っています。
ただ、看護師として働き始めた頃から、病棟での看護できる範囲の限界を感じていました。
1人1人に向き合い、手厚い看護をしてあげたくても、病棟では時間のゆとりがありません。
今でこそ「訪問看護」というスタイルは一般的になりましたが、その当時は、まだ確立されていなかったからです。
訪問看護は、限られた時間内ではあるものの、その患者さんにじっくりと向き合う事ができ、「こうしてあげたい」と思う行動をとることができます。
また、患者さんから「これをやって欲しい」というお願いに「いいですよ」と笑顔で応えられる可能性も格段に上がりました。
私が長年思い描いていた、理想的な看護のスタイルです。
人は誰しも、歳をとる毎に、自分では気軽に出来ないことが増えていきます。
そんなもどかしい想いをしている患者さんたちに寄り添い、出来ないことをお手伝いしてあげられ、お役に立てるのは純粋に嬉しい。
私の仕事のやりがいの一つになっています。
とはいえ、看護師ひとりで出来る事には、限界があります。
私がいくら「こうしたい」と思ったとしても、出来ないことも多いのが現状です。
そんな時は、介護職員・ケアマネジャー・病院の先生など、その道のプロと連携することが大事だと思っています。
そういった多くの協力者と共に「この患者さんを『この方らしく』より良く生きられるようにするには、どうしたらいいだろう?」と、問題解決や改善のための方法や、その他の可能性を話し合うのです。
そんな風に周りとの繋がりによって助けられることが多い職場なので、今はとても恵まれています。
先日、病院の先生の許可が出たので、ご飯があまり食べられなくなってしまっていた末期がん患者さんと一緒に、スーパーへ買い出しに行きました。
その患者さんは、それまではカップ麺のようなものしか食べられなかったのですが、スーパーに並ぶ季節の食材を見たことで「…あれを使って、食べてみようか」と自分で料理を作る意欲が沸くようになったのです。
それからというもの「この間は〇〇を作ったよ!」と嬉しそうに教えてくれるようになりました。
ちょっとしたきっかけから、患者さん自身が「もう、できないんだ」と思い込まれていた壁を超えられたこの出来事は、私にとっても嬉しい事でしたね。
最近は、「最期は自宅で」というご本人や家族の願いにより、施設に入られない患者さんも多くなりました。
住み慣れた場所を変えるというのは、高齢でなくてもストレスが強くかかることですが、在宅で看取りを行う場合、最期の15時間程は、ご家族が患者さんを看ることになります。
その間、「ご家族にできるだけ負担を掛けず、この患者さんがより良く過ごせるようにしてあげられる、そんなアドバイスは何だろう?」と、考えることが増えてきました。
患者さんやご家族の方の「ちょうどいい」という線の合致は難しいのですが、それを調整してあげられるような存在であれるよう、これからも努力したいです。
私たち看護師にとっては、何百件目の看取りであっても、ご家族にとってのご両親の看取りは、たった一度きり。
満足とは思っていただけないかもしれないけれど、後悔のないように「できるだけ力になりたい!寄り添ってあげたい!」と思いながら働いています。
自分自身、これまで辛いこともいっぱいありましたが、支えてくれた方々がたくさん居てくれたおかげで、何とかなってきました。
今は、皆さんから受けてきたご恩を、お返しているところです。
身体が動く限り、これからも精一杯、頑張ります!
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患者さんの最近の様子をお伺いしながら、爪を整えてあげる河野さん。 「助かるわ」と、患者さんも笑顔。
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患者さんのお部屋を訪れ、血圧を測ったり、お髭を剃ってあげたり。 「あっ、伸びていますね。剃りましょうか!」と、気付いたら即行動する河野さん。
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